VB会戻り

いじめは、苛め、虐め と書きます。

意味は相手の肉体的・心理的苦痛を快楽的に楽しむことを目的として行われるさまざまな行為で、 実効的に遂行された嗜虐的関与をする。


問題として強調する場合は、いじめ問題と称されている。なお、表記については、カタカナ表示の「イジメ」と書かれることも多い。



さらに、いわゆる問題児(モンスターチルドレン、不良行為少年)による単純な暴力だけでなく、「物を隠す」「第三者の物を隠し、被害者に罪をなすりつける」「交換日記で悪口を書く」「机に花を置き死亡したことにする」「被害者の名前を隠語にして被害者がききかえしても別人のことをしゃべっているふりをする」といったなどといった「心に対するいじめ」もあり、シカト(無視、仲間外れ)などは水面下で行われることから、教師や周囲が気づかないうちに深刻な事態になりうる。1996年(平成8年)に文部大臣(当時)が緊急アピールしているように、「深刻ないじめは、どの学校にも、どのクラスにも、どの子どもにも起こりうる」もので、児童生徒1,000人あたりの7.1人がいじめを受けている。


いじめに関する追跡調査では、「小学校4年生から中学校3年生までの6年間の間に、いじめ(仲間はずれ、無視、陰口)と無関係でいられる児童生徒は1割しかいない」ことが指摘されている。


近年においても、教師(モンスターティーチャー)によるいじめも問題となっている。また、いじめを行った児童の親族(モンスターペアレント)もいじめ(嫌がらせ)に加担することもある。(以上ウィキペディア)



肉体的、精神的に自分より弱いものを、暴力やいやがらせなどによって苦しめること。特に、昭和60年(1985)ごろから陰湿化した校内暴力をさすことが多い。( 大辞泉 )



相手に、肉体的・心理的苦痛を与えて快楽的に楽しむなんて犯罪です。


肉体的、精神的に自分より弱いものを対象にするなんて、卑怯な奴らせす。暴力やいやがらせなどによって苦しめることは、刑法の犯罪です。


刑法の犯罪が学校で日常的に行われているようですが、法治国家とはいえない。学校が犯罪の場になっている。子供の犯罪だからといって、眼をつぶっていることが問題を大きくしています。



陰湿ってね、
暗くてじめじしていることや陰気で晴れ晴れしないことを言うのですよね

子供のイメージとは全く逆ですね!


こうなると、イジメをする子供は、生まれつきの性格ですか。救いようが無いですね!そのまま大人になると、どんな大人になるのでしょう?空恐ろしいとは、こんなときに使うので生ね。



昔はね、一クラス50人以上いますから、いろんな人がいることになります。それが共同生活をするので、いろんな摩擦があります。


でも、逆に、クラスの半分からイジメがあっても、残りの30人の中に逃げ込めたんですよ。今は、一クラスの人数が20数人ですよね。イジメにあうと逃げ場がないですよ。


田舎の集落で村八分になると逃げ場がないのと同じです。人クラスの人数が少なくなってからイジメの問題が発生したと思っています。


クラスの人数が少ないほど、エリート教育と思うのですかね?。教育の眼が行き届くといいますが、実際は逆だと思います。
昔は「知識」と「知恵」の教育をしていましたが、今は「知識」だけのような気がします。「知恵」が必要なんですよ。



自分を中心にして、その外側に存在するもの、言い換えれば
客観的に存在するものについて知るのが「知識」(ノリッジ)であり

自己そのもの、あるいは自己に内在するもの、言い換えれば、
主観的に事実をまなぶのを「知恵」(ウィズダム)といいます。


人間が人間になる。 人間が人間として完成するために実践を必要とするには「知恵」が必要だとされています。


パスカルは、人間を「考える葦」だといいますが、
考えることの奥底に「愛する」「こころ」が無ければ「知恵」になりません。


自分を愛し、自分の人生を愛する人は、自分を考え、人生を考えます。
そこに「知恵」が芽生えるのです。ついでに言うと、
「知恵」に裏づけされる「愛」が「慈悲」です。


50何人もいて、自由に「愛」についてフリートーキングさせると、いろんな意見がでます。
20数人よりも、少なくとも多くの意見がでます。


多ければ多いほど「知恵」がまとまっていきます。そして、先生は、前述のように、導くのです。そこでは「いじめ」は発生しません。


「愛」と言うと「エロ」しか考えない、今とは大違いです。
教育のプロはよく考えてほしいと思います。



昔、インターネットは当然ないので、ネット上での誹謗中傷はありません。
ビラを作って壁に貼るような勇気のある奴は当然いませんから。
良かったですね。誹謗中傷は犯罪ですよ。


昔は、先生も、よく観察していたので適切な指導をしていたよ。
たとえばね、一クラスは、男女半々だから、男が26、27人はいます。
最初10人くらいがソフトボールのチームを作ります。


他の男の子は仲間はずれにして、入れてあげないんです。
差別するんです。
クラスではエリートを集めるんです。


仲間はずれにされた男の子は、
負けじと、また10人くらいでチームを作るんです。


何人かは、野球なんてやりたく無い男の子がいて、
クラスはバランスが取れるんです。


最初のAチームが、
全員おそろいの野球帽を作ってクラスの整理棚の上に並べた時は
先生!怒りましたね。今でも覚えていますよ。


もう前記しましたので、何で、何といって叱ったかはわかりますよね。
これは犯罪ではないけどね。
昔の先生は、この段階から教育的指導をしていたんですよ。


中学校に入ると不良と分類される者は学校全体ではいたと思います。
でもイタズラする.威嚇する、喧嘩する、たたく程度の暴力を振るう程度です。
犯罪といえば犯罪ですが、指導の範囲内です。
私のクラスにも学年にもいなかったのでよき時代でした。
それは教師の質がよかったからだと信念からそう思います。



イジメは、子供でも大人の世界でもあるのですが、子供の世界のイジメは卑劣です。
つまり、品性や言動がいやしいこと、又、人格的に低級であることです。
昔は、こういうことをする子供がいると、「親の顔が見たい」といわれたものです。


今の親は、まず親の責任ではない。
学校の責任。教育の問題。教師の質の問題・・・と言って責任を放棄します。


親も親なら、子も子です・・・・昔はそういったものです。


今もそう言わなきゃいけないのでしょうが、犯罪者の親は何をすかわからない。怒鳴り込んでくるのは、まだしも、子も子なら親も親「殺されかねない」と黙ってしまいますよね!



イジメをする子は、全うな人間に、立ち直れるのでしょうか!

もちろん、立ち直れます。
その前に、まず「親」が全うな人間になることです。
昔は、子供の喧嘩と言って、親がでない場合があったが、今は陰湿なので、いじめられた子供が自殺することも少なくないことを知るべしです。
この場合、すくなくとも子供の殺人に関して、殺人教唆や幇助の罪は親にあると思います。親と教師を厳罰にすべきです。


言い訳ではなくて、イジメ行為がいいことか悪いことかをまず判断して、子供を教育することです。


どう教育するか?お金は要りません、かかりません!ですから貧乏人の子供も、金持ちの子供も平等に誰でも立ち直れます。


どうするか?それは、「仏性」を持つように導くのです。
教育するのです。なぜイジメをするのか、それは子供も苦しんでいるのです。


人は、生きている以上、皆「苦」があるといいます。
お金に苦しんでいる人は、お金がある人は「苦」がないと思っているでしょうが、満たされた「苦」もあるのです。
人の欲望は恐ろしいのです。
満たされれば、満たされるほど苦しいのです。
イジメをするものは、肉体的、精神的に自分より弱いものを。。。と定義されているでしょう。す
くなくとも、いじめる相手より、肉体的、精神的には満たされているのです。


イジメル子供がそのことを認めて、態度で表せと思うのです。
態度に表さないからいじめるのです。
快感は精神を満たします。
しかし、次なる欲望がでてきます。欲望は限りないのです。

大人は、この欲望のいろんな快感を味わっています。
子供だって同じです。


仏性・・・それは仏の「こころ」を持つことです。

仏陀は「苦」の原因を四諦(したい)といって現実の様相とそれを解決する方法論をまとめた苦集滅道の4つを言っています。
四諦とは「4つの真理」の意味で、4つの真理とはそれぞれ、1.人が生きるということは苦であるという真理 (ウパニシャドの基本です。)

その苦の原因は人間の執着にあるという真理 (苦しみには原因があります)3.この苦を滅した境地が悟りであるという真理 (原因を取り除けば苦しみも消えます)4.その悟りに到達する方法が仏道であるという真理簡単に原因を取り除くその解決方法は 八正道です これを順に苦諦・集諦・滅諦・道諦と呼び、前二者は流転の因果を示し、後二者は悟りの因果を示します。


その八正道とは?それは字の如く、八つの正しい道です。八正道(はっしょうどう)は、釈迦が最初の説法において説いたとされ、涅槃に至る修行の基本となります。

1.正見(正しく見る)
2.正思惟(正しく考える)
3.正語(正しく話す)
4.正業(正しく行動する)
5.正命(正しく生活する)
6.正精進(正しく努力する)
7.正念(正しく思いめぐらす)
8.正定(正しい心を置く)


正しいと思うことを八つ言えば大体合っています!
但し、実践しなければなりません。

釈迦の説法は、直接に人間の実践を主としており、教理は実践を体系付け裏付けるもので、私たちの仏教の理解も、書物による知識ではなく、常に現実における実践を中心としなくてはなりません。


正しいことをするだけで、イジメのこころは無くなくなります。
そして、本当は、あなたが力ずくで欲しかった、皆からの人望が得られます。

なんだ、こんなことかと思いますが、極めて難しいです。当たり前のことほど難しいものはありません。仏陀は「精進」することが大事だと言っています!


でなければ「犀の河原」などが登場する中国の偽経の言葉を借りると、

「イジメ」を続けていると、
阿弥陀如来がお迎えにこられ、行く先は極楽ではなく、
たとえ、往生しても、来世は、「畜生」や「地獄におちます」
それで、良ければ、堂々とイジメをおやりなさい。


イジメの相手が死ぬと、
「畜生」や「地獄」の前に刑務所(少年院)などに行くことは間違いないです。
これは絶対に保証します。そして、親の社会的地位はなくなります!



イジメをされる子は、どうしたらいいのでしょうか?


全うな人間として生きていく努力をせず、相変わらず犯罪行為であるイジメを繰り返す餓鬼には、「仏罰」を与えましょう。


いじめをする卑劣な獣には倍返しで、「イジメ」を、お返ししましょう。

どうするか、絶対に犯罪になる方法はとりません。絶対に無抵抗に徹しなさい。
仏教は無抵抗です。


以下の話をします。
いじめられている時間、この話を思い出して、微笑みを浮かべていなさい。
自然と微笑みの顔になると思います。



昔、インドに、
「早離(そうり)」と「即離(そくり)」の、幼い兄弟がいました。


二人は、早くに両親と死別したので、毎日泣いていました。
すると、ある心の良くない男が、父母に合わせてやるからと言って、
この小船に乗れと誘ったのです。


二人はだまされたとは知らずに、その男の言葉に従ったのです。
小船は沖合い遥かに浮かぶ名もない小島に着きました。


そして、二人を下ろすと、その男は船を漕いで帰っていきました。
二人りの子供は、狭い島の中を、駆け巡って親を探すのですが、
いるわけがありません。


ついに飢えと疲れでその島で果てるのです。


死ぬ間際、
弟の即離(そくり)は、自分たち兄弟の薄命を嘆くのです。
自分たちが何をしたというんです。
自分たちは、このような辛いめにあうような悪いことは何もしていません。


黙って聞いていた兄の早離(そうりが弟をなだめて言うのです。


「私もはじめは世を呪い、人を怨んだが、この小島ではどうにもならない」。


ただ身をもって学んだことは、
親に早く別れ、人にだまされることの悲しさと、飢えと疲れの苦しさですね。


しかし、次に、この世に生まれてくるときは、
この苦悩の体験を「縁」として、同じ「悲運」に泣く人たちを救ってゆこうよ。


「他の人を慰めることが、
自分が慰められるということを!私たちは学んだではないか」と、


弟は、はじめて、 兄の言葉を理解すると、
はればれとした顔になり、互いに抱き合って息が耐えました。


二人の顔には、しずかな明るい微笑が浮かんでいました。


兄が観世音菩薩(かんのんぼさつ)、弟が勢至菩薩(せいしぼさつ)といいます。


これは、セイロンからビルマ、タイへ伝わったバーリー語の仏教聖典「南伝大蔵経」の中の 「華厳経」に書かれているありがたい説話です。


あなたも、
言われるがままに、しずかな明るい微笑を浮かべて黙って聞いていなさい。
微笑んで聞いてあげるのです。
無視されていると逆上しますから、時々うなずいてあげなさい


もうこれで、倍返しです。


修学旅行などで、お寺に行ったら、
観世音菩薩(かんのんぼさつ)、弟が勢至菩薩(せいしぼさつ)を探してください。


今でも、きっと、しずかな明るい微笑が浮かべていると思います。
これが菩薩です。


10分静かに向き合ってください。
あなたも穏やかな気持ちになり、相談したくなりますよ。
そっと相談して御覧なさい。安心しますよ


でも菩薩や如来には怖い顔をした象もありますよ。


全て説話にもとづいて僧呂が話すのを聞いて、仏師が創造で彫っています。
仏像に興味が出てきますよ。
話を聞いただけで、よくあれだけ創造できますね!


仏像に関心を持つだけで、イジメるほうも、イジメられるほうも、イジメがバカバカしくなりますよ!


ついでに、京都に行ったら宇治の平等院平等院鳳凰堂に行ってごらん。
鳳凰堂は、僧呂が行ったこともない浄土経に書いてある極楽の話をし、
その話を聞いて、宮大工が今の凰堂を創造で作ったのです。


すごい想像力ですね。
イジメのパワーをこんな分野に使えば宮大工だって、世界資産を作れるんですよね!


しずかな明るい微笑が浮かべて黙って聞かれる。
微笑んで聞いている。時々うなずいている。


イジメの相手は完全にまいってしまいます。
自分のイジメの相手が観音菩薩のようであれば、どんな悪党も観念しますよ!


これで完全にあなたの勝ちです!


イジメをする相手は、相手が反発してくるのを待っています。
反発すれば、対抗しようとするのですが、無抵抗だとイジメがいがありません。
「おい、何とかいえよ!」、
「だまttちゃわからないじゃないかとか」
「よおし、そんならそれで、こっちにも覚悟があるぞ」・・・・・・・・・・・とか、
いろいろ言ってきます。


でも、しずかな明るい微笑を浮かべられると、気味が悪くなります。
「こいつ気が狂ったのか?」
「馬鹿か?」 
「アホか?」」・・・・・・
「おい、気味が悪いから、そんな顔すんなよ!」・・・・・・


そのうち、捨てゼリフをはいて去っていくでしょう。


イジメた奴は。今まで以上に「苦」しみます。
むなしさを感じます。
むなしさを感じないのであれば、こいつは本当のアホです。


人間ではないです。
気が狂っています。
精神的に苦しんで貰ったほうがいいのです。


そうですね、
いつまでも続けていれば来世、「餓鬼」には「餓鬼道」に落ちて貰いましょう。
人間には生まれないということです!
この罰は、宇宙の「真理」にして貰いましょう!


そして、家に帰ったら、一部始終を両親に報告することです。


信頼する先生がいたら、その先生に一部始終を話して、指示に従いなさい。

若し、相談相手がいなかったら、
このサイトの「VB会コミュニティボード」に書き込んで相談してください。
私も返事を書きます。


ひとつ、ここで注意しておきますけど、
相手が、ちょっとでも「暴力行為」をした時は、
すぐに、警察・交番に行きなさい。
この程度はと、我慢すると大きな犯罪になります。


相手は殺人をおかすかも知れません。
その前に、殺人をとめられるのは貴方しかありません。


小さなうちにとめるのです!勇気をだして行くのです。


もしこのとき傷害罪であれば、イジメの本人たちは、少年院に送られるでしょう。
だから、学校は隠すのです。それが問題を大きくするのです。



お願いです、真実を一部始終を話しなさい。


いまどき、警察は信用できませんから、
対応が悪ければ、「VB会コミュニティボード」に書き込んで相談してください。


私も返事を書きます。
いえ、もっと重大な対策を打ちます!
助けに行けられるような、キーワードを書き込んでおいてください!


もういちどいいます。
イジメの暴力は犯罪です。刑事罰です。


大人はずるいですから、握りつぶすかもしれません。
絶対に、殺されてはいけません!


そして、苦しみの結果として、絶対に自殺を選んではいけません。
自殺をすると、来世は「畜生」です。
ヘビとかゴキブリです


ヘビとかゴキブリになるかは知りませんが、
生き物は「輪廻転生」することは確かです。
するとやっぱり、ヘビとかゴキブリですネ



インドはウバニシャド哲学といって、
「輪廻転生」を信じています。
生と死をクルクル回るのです!
本当ですよ、ちゃんとインドの国旗には、輪廻転生のシンボルである、
車のホイール(車輪)が国旗の中央に描かれています。



そうですねイジメの「餓鬼」には「餓鬼道」に落ちて貰いましょう。



でもOPENにしないで勝手なことをすると、貴方もイジメで「餓鬼道」に落ちますよ。


絶対に死ぬなよ!!


恭仏院恭博


鐘楼は鳴らして時刻を知らせる為の施設です。ただし、梵鐘は単に時報として撞かれたものではなく、その響きを聴く者は一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳があるとされるものですね。
この掲示板を訪れた貴方は、この広告をクリックすることで功徳があるといいですね。信じるものが救われると言います。さあ、お布施代わりに1クリックをVB会に寄付しましょう!