VB会戻り

日本の常識でも 自殺はおやめなさい


自殺者は、日本だけでも、年間3万人ほどいるといわれ深刻な問題です。
1日80人以上」です。
又、家族を自殺で亡くした遺族は300万人を超えると推計されていて、
40人にひとりは自殺者の遺族という計算になります。自殺は犯罪です。


他人を殺すことを「殺人」といいます。
でも自分という人をころすことは、「自殺」といって言い訳します。
日本の歴史は「自殺させせる殺人」を美徳化してきました。
字のごとく、自殺も殺人です。おやめなさい。やめさせなさい。


仏教では、中国で、整理確立したと思いますが、五戒があります。
その中で、第一に、「.不殺生戒(ふせっしょうかい)」があります。
簡単です、生き物を殺してはいけない。
人間も生き物です。

でもね、困ったことに、こんな言い訳をします。
最低限の命を繋ぐ為の殺生であれば、感謝の念を保ち食すのであれば、問題ありません。
とどまるところを知らない、貪欲な心を諌める為の戒でもあります。「少欲知足」です。


でも言い訳をしないのが、同じウバニシャド哲学でも「ジャイナー経です」。
蚊も殺しません。農業をすると、ミミズを誤って殺しますから「農業」には従事しません。多くの人は商人です。
だからお金持?当然菜食主義ですからスレンダー?です



話を元に戻します。
犯罪者の家族は、精神的にも経済的にも大きなダメージを受けて生活をしています。
自殺志願者は、まずこのことを重大事にしなさい。



自殺の原因は解析されていますが、日本の社会には人々が生きづらくなるような社会的な悪条件や困難が多いとしています。


「自殺」とは言うものの、実際には、本人が死を積極的に選んでいるというわけではなく、死を選ばざるを得ない状況に追い込まれて亡くなっているといわれます。でも自殺願望者に同情はしませんよ!


自殺の要因は、 将来についての不安や絶望」「家族からの虐待や周囲からのいじめ」、「過重労働」「貧困」「介護疲れ」「孤独」「追従」などいろいろです。


要因がわかっているのですから、交通事故死のように、具体的な対策を政府は講じるべきです。


日本の場合、たとえば、高校中退 → 不安定な職にしか就けない状況 → 経済的困窮・ 借金 → 家庭内の人間関係の悪化 → 自殺 といった 連鎖的ことで起きるなど問題は深刻です。


このような場合でも、日本の場合、自殺という「卑屈」な手段が、なぜ選ばれるのかと疑問ですが、日本の場合、あまりにも「自殺」に対して、日本社会が「慣用」過ぎるからです。


自殺者は、社会の「慣用」の中で、人生は「苦」であるという仏陀の教えにもかかわらず、
本人は苦しい努力をせず簡単に自殺を選択しています。


周囲も慈悲の心を持たず、他人の自殺を、冷静に他人事として、内心、
ほくそ笑んで、眺めています。



日本の歴史において、戦前は、自殺は「美徳」であり、恥ずべきことでは無かったのです。自殺は常識であり、自殺しない者には、悪者あつかいもして着ました。



だから今日、戦後70年近く経つのに「イジメ」の世界で、
「死んでみろ」とか、
言葉のアヤで「死んでやる」を平気で言ったり、
死ぬ気もないのに「死んでやる」といった会話が「自殺」へと追い込んでいる。


今にも「アホな政治家」が突然「自殺は日本の文化だ!」と言いかねない。


自殺は、歴史認識において、負の遺産を背負う日本国政府の責任である。


政府の責任と言っても、何もしないのが「政府」であるので、国民自ら「総動員」をかけて、「自殺」を防止しなければならない。
無政府による「自殺防止国家総動員令」をかける時期である。


「歴史的な責任」

なぜこんな日本人は、「自殺」に対する冷静さが持てるのでしょうか?
歴史的に見てみましょう。


その前に、自殺の歴史は古く、 中国では、紀元前1100年ごろ殷王朝最後の紂王が周の武王に敗れ、焼身自殺したり、クレオパトラはコブラに自分の体を噛ませて自殺したり社会的な凋落や絶望が自殺の動機となったり、又、自殺は、社会的な制度として行われる事もあったり宗教的な理由から生け贄として自害するなど歴史的にはさまざまですね。


重大な犯罪を起こして死刑を免れない状況に陥った貴人が、公衆の前で処刑されるという屈辱を免じてその名誉を重んじさせる意味で、自殺を強要されることもありました。


律令制国家における皇族や高位者が、死刑判決を受けた場合に、自宅での自殺をもって、刑の執行としています。
戦国時代から江戸時代初期にかけて、武士に対する切腹処分などもそうです。


日本においては、 歴史的に自殺がひとつの文化として捉えられているのは悲しいことです


古事記などにも、日本の文明が始まる頃から自殺は行われていたとされているようです。そして、切腹・心中・特攻・殉死など、自殺に准じる行為がそれぞれの時代において、さまざまな状況で存在しています。


特に武家社会での自殺は美談として扱われたことは汚点となっていると思います。


室町幕府を開いた足利尊氏の祖父足利家時が八幡大菩薩に三代後の子孫に天下を取らせよと 祈願した願文を残して自害したという伝説や、織田信長の傳役平手政秀が死をもって信長の行動をいさめたとされることなど。


近代においては明治天皇崩御のおりに殉死した乃木希典・静子夫妻が世論の称賛を浴びたという記録。


武家が力を持つようになった平安より鎌倉、戦国時代に至まで、相手に武名をなさせないために、敵に討ち取られるよりは自害することをよしとする考えがどこからか芽生えています。自らが討ち取られその武名が誰かによって落とされること、ことに格下の兵に功名の手柄とされることを恥としたのです。


足利義輝など最後も、雑兵に討ち取られるよりは、自害の方が名誉ある死の設営である。日本の武家文化の一つとして国語などでも継承されている用ですね。


また死罪を自ら行う切腹は、日本人なら、よく知っていて、鎌倉以来武士は、江戸時代初期までは主君に切腹を命じられても、ある程度の抵抗を示した後に、仕方なく自害することが「武士の意気地」だったようです。


しかし時代が、江戸時代も中期になると、
腹を切ることが「潔い」とされるようになり、家門の存続が個人の武名以上に重要な価値を持つようになったなってきたことが大きな要因となる。
徳川政治の進展と共に制裁が決まる前に自ら一命をもって責任を取れば、多くの場合,
家門もしくは家族の存続は許されたからでもある。なお、
作法も整備され、武家女性の場合は切腹ではなく喉を短刀で突く自害方法とされた。


一方庶民の間でも、心中自殺が流行した。これは近松門左衛門の『曾根崎心中』をはじめとする「心中もの」の創作が芝居や浄瑠璃で評判を呼んだことによる影響と考えられている。


このころは、檀家制度により庶民は仏教徒になっていたにもかかわらず、
仏教が廃れていたので、死生観が創作されたのである。
「あの世で結ばれる」として男女が自殺に及んぶラブ・ストリーが受けたのである。

それで、幕府は『心中禁止令』を出すとともに、心中死体や心中未遂者を3日間さらし者にした上で、未遂者は被差別階級に落とすという厳罰を実施したが、

一方的な制裁は、かえって心中志願の男女に、より強い死ぬ決意をさせるだけで、今日にまで至り、心中防止効果はなかったようです。

「あの世で結ばれる」という関係でなければ結ばれない儒教思想の政策変更や、仏僧に「あの世で結ばれる」という、宗教思想は偽であるとして、正しい仏教教育をさせなかったからである。



大正デモクラシー後は、軍部の影響力が増大し軍国化した。軍人は自決によって責任をとることを是とし、またそれは美徳だと考えられて、「生きて虜囚の辱めを受けず」の一文で有名な戦陣訓に象徴される、捕虜になることより潔い自決を名誉とする環境が醸成されていた。


1941年に開戦した太平洋戦争では、昭和史の戦中における自決、特攻]「戦陣訓」「集団自決」など悲惨なものである。
組織的には絶対降伏を行わないという特異性を世界に見せつけ、日本軍人たちは捕虜になるぐらいならばと自決もしくは自殺的な攻撃で命を断った。

自決であれば、軍人軍属の場合は戦死扱いになり、不名誉でないとされた

これらの思想は一般市民にも浸透し、名誉の自決をした軍人は新聞報道やラジオ放送、ニュース映画や大本営発表を通し市民の目や耳に入り、立派な最期を遂げた尊敬すべき偉人とされ賞賛された。戦死後は、軍神としてあがめられた。


これを言うと「靖国問題」になるからやめておきましょう。


「宗教的な責任」


別の視点では、宗教的な要因による自殺として、おろかなことに同じ仏教でありながら、密教系の仏教で行われる「即身仏」などの宗教行事もあります。


日本では、本山の通達により禁止されていますが、同じ密教である中国チベット族僧の断食、焼身自殺などは、何のための仏教家と怒りを覚えます。


イスラームでは、自殺した者は地獄へ行くとされている。
本来のイスラム教では、自殺も殺人も禁じられている。
現代のイスラム世界においても、自殺を行って死んだ者は地獄に落ちると強く信じられ、自殺者に対する社会的な偏見も強いそうである。

しかし、聖戦(ジハード)の犠牲者は天国へ行くという思想もあり、自殺を伴う攻撃が正当化されている。
自爆テロはこの最たるものである。
しかし、イスラームの正当な考え方では、自殺と共に罪のない一般人を道連れにすることは許されない。


イスラームがおこなう戦争は、防衛のためであり、死や殺殺人が目的ではない。
命、財産、信仰など守るべきもの防衛する段階で、敵によって殺されたら殉教者になる。敵を殺す目的のために、自殺より殉教者にはなれないする思想である。


ユダヤ教、キリスト教、イスラームなどのアブラハムの宗教、儒教では、自殺は宗教的に禁止されている。


欧米やイスラーム諸国では自殺は犯罪と考えられ、
自殺者には葬式が行われないなどの社会的な制約が課せられる

ヨーロッパにおいては伝統的に、自殺というのは罪だと受け取られ、現在でもそうした見方が基本にあり、キリスト教においては基本的に、自殺は重大な罪だとされている。


キリスト教徒には自殺の権利は認められていな。
「自らの命を奪う自殺者というのは、
一人の人間を殺したことになる」との思想である。


旧約聖書のモーゼの十戒に「汝、殺すなかれ」と書かれていて、自殺という行為は結局、神に背く罪だ、とした。かつては、自殺者は教会の墓地に埋葬することも許されなかった



仏教と同じウバニシャド哲学のヒンドゥー教には、夫が死ねば妻も焼身自殺するという、寡婦殉死(サティー)の風習があった。

マヤ文明では、一般に死をつかさどる神「ア・プチ」のほかに絞首台の女神「イシュタム」がいて、自殺者の魂を死後の楽園へ導くのだとされた。



仏教では自殺「じせつと読む」についての説話はない。
人は生老病死により、誰しも生まれて死ぬまで苦しい人生を送るのが常であり、
人生は無常で得あると説く。
したがって苦しいからと言って「言い訳し」自ら命を立つのは、
仏法にそむく犯罪人である。


偽経では、自殺するなど迷いあるものが輪廻するものは、
六道(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)の中で、
修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道などへ落ちるとされ、脅している。


昔、日本で行われた、焼身往生や補陀落渡海など、
この場合は自殺と見られることはなかったが、明らかに自殺である。

あえて、意地悪に言います!

へび ですか ゴキブリ ですか 怖い地獄 に生まれたいですか?


どうせ、解脱できずに転生するのなら「人間」に生まれなさい!


その前に 日本の常識 自殺はおやめなさい!


釈迦は言っています

誰でも「努力」して、生きているのです。

「道元の教え」


禅・曹洞宗の経本に「修證義」(曹洞宗の開祖・道元の著作である
『 正法眼蔵』から、特に在家信徒への布教を念頭におき、
重要な点を抜粋した経本で明治23年に日本語で編纂されたものです)があります。


この冒頭に


生(しょう)を明(あき)らめ


私たちが生きているということは、どういうことか、死とはどういうことか、 その真実をはっきり見極めるのが人間ですとして最も根本的問題であります

死を明(あき)らむるは


生まれてから死ぬまで、私たちは迷い、死とは何かを明らかにすることは


佛家一大事の因縁なり、


ほとけを信ずる衆生にとって、ほとけが衆生救済のために、この世に出現するという重大ごとなのです


生死(しょうじ)の中に佛あれば生死なし、


生と死の中にこそ、仏(覚ったひと)はいるのですから、迷い苦しむ生活としての生死はないのです。


但(ただし)、生死即ち涅槃(ねはん)と心得て、


ただこの生まれてきてから死ぬまでの現実そのものが、不生不滅の涅槃(さとり)の境地と心得たら、良いのであって、


生死として厭(いと)うべきもなく、


いやがり、きらうべき生と死という迷いの生活もない、ねがいを求めるべき


涅槃として欣(ねご)うべきもなし、


涅槃(さとり)の境地というものもありません。


是(この)時初めて生死を離(はな)るる分(ぶん)あり 


こうなった時、はじめて生まれてから死ぬまで、迷い苦しむ世界から完全に縁が切れ、 生を明らかにし、死を明らかにする、生き方が自分のものになります。


唯(ただ)一大事(いちだいじ)因縁(いんねん)と究盡(ぐうじん)すべし。


ただ、これこそが一大事(ほとけが衆生救済のために、 この世に出現するという重大)な根本問題であるということに徹底しなさい。



明治時代の日本語でも難しいですね。
曹洞宗の僧呂だってわからない僧呂もたくさんいると思います。
経ってね、仏教の教えを書いた教科書なんですよ。
教科書が、誰にお読めるような現代日本語じゃないんでは、何のための経ですか?



今、罰あたりにも、自殺を思っている者が、もう一度考えてみようと思って、
日本語で書かれている、この「修證義」を手にとり、
読もうと思っても、読めない、意味がわからないでは、何の役にも立たないと思います。


でもね、漢文で書かれた「経」よりマシですけど。
聖書のように、定期的に現代語訳に更新しないと、仏教の信者がいなくなってしまいますよ。



「探さなければ『宝石』は手に入りませんよ」



自殺の原因として、
1.「日本の社会には人々が生きづらくなるような社会的な悪条件や困難が多い


2.「自殺」とは言うものの、実際には、本人が死を積極的に選んでいるというわけではなく、
死を選ばざるを得ない状況に追い込まれて亡くなっている


そうした状況(要因)というのは例えば、
「将来についての不安や絶望」
「家族からの虐待や周囲からのいじめ」
「過重労働」「貧困」「介護疲れ」「孤独」など。。。。。。


これについては、仏教のいろいろ経のなかですでに指摘しています



日本の社会というのは、
人に悪条件の連鎖のしかかるような構造が常態化されているのです。


例えば、中小企業融資で信用保証協会に対する連帯保証人への責付は厳しく、
失業者に対する生活支援策は少なく、
多重債務を抱えることになり、
倒産、失業、多重債務に陥った人々に対して精神的なケアをする組織が少なかったり、
その支援先の広報・周知徹底がなされておらず、彼らがたどり着くことが少なく、


たとえば、うつ病になり、うつ病に追い込まれたために、再建、再就職がなお一層難しくなり、
自殺に追い込まれる、というような経路がある。のですが、


国会議員だって、実態をしらないから、問題解決に走らないのです。



貴方は誰に、自殺を薦められましたか


信用保証協会になんと言われましたか


失業保険窓口で何と言われましたか


生活保護をもらおうとしたら何といわれましたか


役人は、威張り散らすものが多かったでしょう
誰のおかげで飯を食っているのだと怒りたかったでしょう
よく我慢しましたね。えらいですよ!


近所のものは、手のひらを返して何と陰口をたたきましたか


友だちと思っていたが、貴方が勝手に思っていたことがわかったでしょう!
唾を吐きかけてやりたかったでしょう


身内だって、それはそれは冷たいものでしょう!
身内ですら、そんなもんなんですヨ


人間てね!仮面をかぶった豚だということがわかったでしょう
豚はブーブー言ってわめくでしょう
豚のくせに貴方を威嚇したでしょう
よく我慢しましたね
人間の仮面をつけた、畜生ですから、相手にしないほうがいいですよ!


誰を信じるのでしょう!


それはね、あなた自身ですよ!
それは、それは、本当にあなたですよ!


生まれてきてから、いろいろな人の世話になって来ました
貴方がお世話したこともあるでしょう


でもね、貴方が、もうじき死ぬ・・・状態になっても
誰も助けてくれないですよね。


見返してやりましょうよ!
悔しいではないですか!

日本の常識かも知れませんが
あなたが勝手に自殺を選択する
自殺はかっこよくないですよ!


自殺はおやめなさい!


貴方が自殺すると、周囲には、ほくそ笑む人間がたくさんいます
悔しい意でしょう
悔しいと思いなさい!


不幸な末路の「人生劇場」の主役になるのは、おやめなさい
へたくそな芝居はおやめなさい
しゃく ではないですか

だから 意地でも、おやめなさい
どうせ 貴方は、大根役者です
キャンセルしなさい
そうです。ドタキャンです!

見返しておやりなさい!
きっとできます!!


自殺をも考え、そして踏みとどまったあなたに、すばらしい役が回ってきましたよ!


見返しておやりなさい!

幸せな「人生劇場」を主役で開演してください。
もうベルが鳴ります!!


見返しておやりなさい!



貧乏な『ある人』が『友人』の家を訪問し、
ごちそうになり、酒に酔って眠ってしまいました。
ところが、その『友人』は、急に用事で旅立つことになりました。
寝ていた『ある人』を起こすのも気の毒と思い、
また、貧乏から脱出できるようにと『ある人』の着物の裏の襟に『宝石』を縫い付けてから旅立ちました。


やがて、目を覚ました『ある人』は、『友人』がいなくなったので、
その家を立ち去り、相変わらず貧乏な生活を何年も続けていました。


ずいぶんたってから、『友人』は、『ある人』にバッタリ出会いました。
『友人』は、哀れな『ある人』を見て、 「なんとバカなことだ、お前の着物の裏の襟の宝石を売れば、素晴らしい生活ができるのだ!」と言いました。
(法華経の衣裏繋珠の譬)



貧乏な『ある人』は、それは貴方です!
そして、『友人』とは、お釈迦様です。
いえ、お釈迦様と同じ慈悲深い、これまで貴方が会ったことの無い人でしょう。
着物の裏の襟の『宝石』は、人の心の奥の仏性です。
それは、それは、大きな大きな幸せの心です。



人は誰でも思います。
生まれてきたからには、素晴らしい生活をしたい と思います」!
人の心の奥の仏性が、宝石のように明らかであれば簡単に探せると、
誰もが思いますが、簡単なほど探せないものです。
気がつかないものです。


でも探す努力は必要です。
探さなければ『宝石』は手に入りませんよ。

そっと覗きにいきますよ


恭仏院恭博


鐘楼は鳴らして時刻を知らせる為の施設です。ただし、梵鐘は単に時報として撞かれたものではなく、その響きを聴く者は一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳があるとされるものですね。
この掲示板を訪れた貴方は、この広告をクリックすることで功徳があるといいですね。信じるものが救われると言います。さあ、お布施代わりに1クリックをVB会に寄付しましょう!