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是の諸法は空想なり

舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 

しゃりし ぜしょうほうくうそう ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん

舎利子よ、 是の諸法は空相にして、 生ぜず滅せず、 垢(あか)つかず浄(きよ)からず  増(ま)さず減(へ)らず

現代語訳は

舎利子よ、すべての物事は幻なのですから、生まれることも滅することもありません。汚いとかきれいということもありません。増えたり減ったりすることもありません。そう思い込んでいるだけなのです。

また

シャリープトラよ。この世においては、全ての存在するものには、実体がないという特性がある。生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減るということもなく、増やすとということもない。

などなど訳者によりいろいろです

【解説】

舎利子は、小乗仏教を象徴する長老のシャーリプトラのことです。

是諸法空相は、是の諸法は空想なり是の諸法とある「法」は「法律」とか「○○法」の意味ではなく、仏教では「物質的現象」をさす場合が多い。

「法」には、教え、決まりの意味もありますが、ここでは、仏教の真理と理解する。「諸行無常」や「諸法無我」、つまり、すべての事象の存在の決まりと働きが「物体」に現れているという意味で、「物質現象」を「法」の一語で表すそうです。

不生不滅とは、生まれざる身ならば、死するということもなし。人生の最高の不安と安心を述べた言葉です。最高の不安は「死」ですし、最大の安心は「不滅」です。

物質現象には実体がないという特性があるが、その特性は何かと言うと第一に「不生不滅」と言うことです。

肉体には生死がある。空の世界にはそれがない。ところが、この二つが触れ合うところに「苦悩」が生じるために、人間はこの接点において悩みを持つのです。

特に、この悩みを強くもつのは「人間」だけだといいます。逆にいえば、どうにもならない大問題だけに、人間に生まれてきた喜びがあるといわれます。

不垢不浄は、「不垢にして不浄」となりますが、梵文現代語訳では「汚れたものでもなく。汚れを離れたものでもなく」とあります。生も滅もないように、不浄とか浄(きよ)いとかの区別はないということです。

ここで言う「汚れたもの」とは、「煩悩」のことです。煩悩とは「このましくない心の状態」のことですから、「身体や心を悩ませ、かき乱し、汚す精神作用の総称」と字典は教えています。

この煩悩も本来は、般若心経では「空」ですので、逆に言えば人間も煩悩も、ともに、「汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもない」と理解するそうです。

これが「空観」、空による人生観・世界観と言うものだそうです。

不増不減とは、不増にして不減なりで、梵文現代語訳には「減るということもなく、増すということもない」とあります。

空の本体の中には、増・減がない。人間が自分に執われて、増減の価値判断をするのですから、ここから「自分」を抜いてしまったら、空の世界には「増・減」はないということです。

【補足】

私たちは、「不生不滅」から生命の厳粛さを学び、「不垢不浄」から毎日の生活において、現象面からだけで、価値判断をしては成らぬと教えられます。「不垢不浄」とは、「どのように汚く見えるものでも、必ず美しいものが宿っている」ことを実感しなければならない。それは「不生不滅」にしても、「生」を好み、「死」を嫌う偏狭さから、生死をおおらかに受け止めると「自由」が生まれることを知るべしと言うのです。

仏教は、安らかに死んでゆくことを教えるのではなく、精一杯生きてゆけと教えているのです。

恭仏院恭博


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